交響曲第8番ハ短調 カール・シューリヒト指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
1890 Version. Ed. Leopold Nowak [1955]
Carl Schuricht, Wiener Philharmoniker. 7/12/63
70:45 - 13:38 13:46 22:17 20:28
Altus CD ALT 085
シューリヒトはあまり聴いたことがなくて、印象に残っているのはハスキルと共演したモーツァルト「ジュノーム」の丁々発止の終楽章ぐらい。
なのに、なんとなく「薄味」のイメージを勝手に持っていた。
イメージなので漠たるものだが、あえてパラフレーズすると、表現より形態重視の、インテンポで快速のスマートな演奏、という感じ。
この演奏は、快速という点は当てはまるが、結果的には薄味とはかなり違うものだった。
第1楽章、速い。
速いだけでなく彫りが深い。
疾風怒濤という言葉がぴったりだ。
緩急強弱の振幅もあり、ふつうの演奏に比べて情報量は落ちていないが、その速さゆえに情報の意味がまったく違うものに置き換えられて目の前にあるような、不思議な感じ。
第2楽章スケルツォも速い。
スケルツォはたとえ速くても第1楽章ほど異質な感じはしないのではないか、という予想が覆される。
ここでも他の演奏とは別種のゲームが目の前で展開されているような驚きがある。
あえて言うと、「トムとジェリー」的な整然としたドタバタの快楽はここでの重要な要素だと思う。
トリオは一転して遅い。
冒頭のネットリとしかもシラッとしたフレーズは、テンポのギャップのせいで特に印象的。
蛇女からいきなり浴びせられた冷笑のようで、ハッとする。
第3楽章も速いが、ここまで来ると慣れたのかあまり不思議感は無い。
この楽章はヴァントなどの演奏だと人界を離れた天上界あるいは異星で鳴り響く音楽のように感じることがあるが、この演奏では一つ一つのフレーズが等身大の人間のぬくもりを帯びて親しく感じられる。
終楽章も速い。
ブルックナーの交響曲は後期の作品ほど悲哀と荒涼の色が濃くなり、そのせいもあってわたしはあまり好きになれなかった。
この演奏はそういう要素にも事欠かないが、スピードのゆえに鬱積しない。
「シューリヒトのかなしさは疾走する。鬱は追いつけない」ってヤツだ。
ライブのモノラル録音。
1963年にモノラルってオーストリア放送協会は遅れてるなあ、と聴く前は思ったが、音は十分いい。
シューリヒトの意図は知らないが、速さが持つ多様な意味・効果を教えてくれる、そして強烈な演奏だった。